断捨離

去年に話題になっていた断捨離について書きます。この本では、基本的にはいらない「もの」を捨てることがそれが気持ちと考え方の整理に繋がるという事ですが。それは全くその通りです。「もの」があると置く場所と使える状態にしておく手入れの時間が必要です。それらをなくす事と時間と労力と心配がなくなるのです。心無?礙=心に礙(気になる事)が無くなることは嬉しい事ですね。

 

断捨離の解放感は、

旅行で体験できます。日常の「持ち物」が周りにないので、自由時間ができますし、管理しなくて良いという自由な気持ちになれます。石垣島には日頃とは全く違った、美しい珊瑚礁に囲まれ、いつも亜熱帯の花でいっぱいの八重山郡の石垣島は、本土からの旅行者にとっては都会の日常生活を思い出すモノが一切なく(住んでいるとそうでもない)、暑さで思考が殆ど停止し、全く今までとは違う気分になれる所です。違う自分を求めて本当に沢山の人達がやってきます。そしてこの場所で好きなだけ時間を取って一番嬉しい事に集中できます。みなさん一度遊びにに来てください。それから昔はヨガや瞑想の合宿研修(リトリート)を八瀬のお寺でやりましたが、すべてをその為に使う事ができたので技術の習得には非常に効果的でした。また声があればやってみたいですね。

 

断捨離の本当の意味は、

「もの」だけではない。自分に繋がる「人・モノ・事」を捨てる事でもあります。
そして、最終的には自分の命をも捨てる事です。

殺仏殺祖とは脱同一化の事


禅の臨済宗の開祖・臨済は 殺仏殺祖と表現しています。「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷(親族身より)に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。」
これは本当に殺す事ではありません。
それまでに受けた影響や関係を見直して、依存関係をなくすことです。

統合心理学(サイコシンセシス)の最も大切な概念はの「脱同一化」の事です。
私達は関心や興味のある事に影響されてしまいます。
それは自分で学んだ価値感や親や先生に教え込まれてしまった価値の刷り込みを持ち込んで生きています。そういう事に

1.気がつく事そして、その上で必要であれば自由意志を使って、
2.今までとは違う考え方(think different)をして、必要であれば
3.別な選択肢を考え出して
4.成果を出して行くことが「脱同一化」という行為です。


脱同一化と断捨離について、これを前回のbodyを使ったワーク練気功のワークとつなげて説明します。

神様(創造主)から人間への無料のプレゼントを活用しよう。
プレゼントとは
「人間の身体には何もなくても何もしなくても満ち足りた大安心の気持になれる仕組みが備わっていること」です。

無から有は生まれません。人間の身体は進化の過程を経て今に至った仕組みを持っていると考えますが、この仕組みは誰かが作ったからあるのでしょう。それを神様と呼んでも悪くないと思います。

呼吸法で満ち足りた世界に入り込もう

それは呼吸法で自分の身体と心を満ち足りた幸せな状態に持って行けることです。 仏教やヨガや仙道の瞑想法 です。

 

感謝に満ちたお陰様の人生


シンプルな生活で「朝起きて生きている事に感謝し」静かに一日を「平穏に無事に夕べを迎えられた事に感謝する」という満ち足りた気持ちで「お陰様という感謝の気持ち」生活しているお年寄り達にあちこちで出会っています。

ヨガの呼吸法の効果
深呼吸をすると心拍数がさがり血圧が下がります。ヨガの呼吸法は逆もあります。身体を温めたり、冷やしたり、前回に体験した音を使った呼吸法でも十分に満ち足りた気持ちになれます。

 

呼吸のガイドです。

自分でできるだけゆっくりと力を入れずに丁寧に音を出したながら呼吸することです。絶対にしていけないことが一つあります。「これで良いのだろうか?」「私もそういう境地になれるかしら?」「凡人の私にも悟れてだろうか?」という気持ちが厳禁です、。
しばらく「できるだけゆっくりと心を込めて息を吸います。もう一杯になったらすぐに履かないで軽く息を止めて待っているとと苦しく感じますが、その苦しく感じる手前に、すごくふんわりとした気分になります。その絶妙なタイミングの時に、
息を吐きながら その世界に入って行きましょう。その状態でゆっくりと音と呼吸の振動に一体化してください。今までにない満ち足りた嬉しい感覚の世界です。でも意識はとてもスッキリしています。

これで大丈夫だろうかという「疑いの心」「不安な気持ち」がおこったら、そのままにしておいて続けてください。なれてきたら一呼吸でその状態になれます。だからこれは努力の世界ではないのです。
しかも、これを得るのには何も苦しい修行はいらない。白隠は地面に杭を打ち込もうと思って、杭を打つのを失敗して大地を打つことがあるかも知れないが、槌で大地を打つ事を失敗する人はいない、それぐらい悟りは誰にでもできる簡単なモノで有る。心を込めたた意志でゆっくりと呼吸をしていればよい。これを神様からの人間へのプレゼントと言って良いと思います。
感謝してこの満ち足りた世界にいることを感謝していればいいのです。

「お金がなくても」、
「ひとりぼっちでも」、
「元気がなくても」

意識をウチに向けて心を込めて呼吸をしていれば心は安らいでくる。練習ではなくいつも本番という態度で呼吸すれば良いだけです。

疑いの気持ちや不安は結構やっかいです。そこで役に立つのが本当の意味での断捨離です。反省好きな日本人には悟りは大変な修行をしないとできないモノである。私なんか凡人にはそんなこと可能だろうかという自分に対しての攻撃でします。
それは自分で学んだ価値感や親や先生に教え込まれてしまった価値の刷り込みが自分自身に向かっておしゃべりを始めます。

ここで大切なのは、今までの人・モノ事からの捨離です。脱同一化です。 仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。

スピリチュアルな闇
注意しないといけないのは、少し良い気分(宇宙を知ったような感覚)になるとそれで教祖になってしまう人がいます。貴重な体験ですが、この体験は実は誰もが元々持っている能力で、竹につもった雪が必ず、落ちるのと同じで誰でも起こってしまう「もの」です。困った人は、この事が理解出来ていないのです。そういう困った人も相当多いです。

統合心理学(サイコシンセシス)ではすべての人がそういう境地に気がつく能力があるという理解をしています。臨済禅の白隠禅師もそういう立場です。一人の個人が大悟したからと言ってもどういことないのです。あくまで個人の体験に過ぎない。「あっそう、よかったね。貴方もやっとココに来たのね。」と認めてくれます。「それでどうしたの」ココで禅者の場合は大変面白いエピソードががいっぱいあります。前に紹介した趙州はこの時の体験を、「今までの自分の住んでいた世界が破壊されてしまった」と述べています。つまり今までの人やモノや事との関係が無くなってしまったのです。(断捨離)です。。今までの信じ込んだことや教え込まれた事から脱同一化しましょう。

統合心理学(サイコシンセシス)のワークショップでは、この内なる体験がスタートです。だからいつも身体を使ったワークから始めています。

あらゆる「人、モノ、事」との繋がりの関係を自分の意志を働かせて(工夫して)整理して、判断して、行動する。そして絶え間なく修正(Think different!)いつも別な選択肢を探しながら)をしながら喜びに満ちた人生を送ることです。統合心理学(サイコシンセシス)は、悟りが最終目的の初期の出家仏教とはちがいます。世界に住んでいて、悟りの世界からも脱同一化して。世界で楽しく創造的に生きる事を目指しています。

最後に最も究極的な断捨離のやり方を伝えます。
大死一番 一息一生
人間がいきているという事は呼吸をしていることです。一息一息と息をして生きていると言う事は、一息一息と死んで行っているのです。あらゆる欲の中で。息を吸う事の欲求ほど強いモノはありません。

これが最後のつもりでに心を込めて息を吐ききってみませんか。吸わないで待っていると苦しくなって身体が息をしてしまいます。この力が命です。これって「今生きているという証しであり嬉しい事」ですよね。この命の嬉しさをしみじみと感じてください。一日一生ではなく一息一生です。この「息が吸える事の嬉しさ」と比べたら、他の食欲も性欲も出瀬欲も出世欲もことは。小さな事と思えてきます。これが大死一番です。すべての感情も思考も息をしているからからこそ味わえる大事ごとです。
慣れてくると深呼吸して息を止めておいてスーッッと抜くだけですぐにかなり気持ちよい状態になれます。比較しないで

呼吸をも断捨離し、新しい命を感じ続けてください。
統合心理学(サイコシンセシス)はかなり欲張りな事を目指しています。具体的にはがたとえば「自由時間」も「お金」も「愛ちある人との繋がり」も「健康」も「美」も「知」も「宇宙との一体感から来る心の静かさや安らぎと喜びです。」これは深い精神的(スピリチュアル)な体験という事ですが、以上の中でその中で

 

一番簡単にできるのが「宇宙との一体感」「満ち足りた喜び」です。

というのはこういう「もの」は誰もが持っているモノですしから、息を吸って軽く止めてすーっと履くだけの時間つまり一呼吸でその喜びの境地に達することができる「もの」です。「もの」を作ったり、植物を育ているのと比べるとあるいは、人に何かをしてもらうのと比べてきわめて簡単な事ですよ。
究極の断捨離は南方仏教の出家かも知れません。日本の仏教は大乗仏教なので本当の意味での出家とは違います。

最後に
お互いが尊重しあってそれぞれの意志のと行動の自由を認め合っていければ、殺さなくても別れなくても良いのです。つまり全く断捨離しなくても人モノ事は巧みに繋がっていれば良い。出家してもしなくても「自分はその状態であり。その状態であるのが自分です。

You are that state. That state you are!

 

みなさんの感想を聞かせてください。

 

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