人間の意識の理解の為に

 アサジオーリの卵型図形の理解の仕方

by 岩崎正春

2005/02/13

サイコシンセシス(統合心理学)を1920年代に創設したアサジオーリは「人間の意識の階層」を下のような卵型図形で説明をしている。

 

 

アサジオーリの卵型図形を説明する前に、認識論(思考についての研究)の立場から、「原始的=プリミティブ(特定の民族ではない)な人たち一般の意識」や「フロイト」や「ユング」や「マズロー」などが、「どのように人間の意識を捕らえていたか」を比較して説明する。その事により、アサジオーリのシンセシス(統合)という視点が理解できると思う。


● 原始的な意識と無意識 (二元的)

原始的とは、どこかの民族ではなく、それぞれの人間がたどってきた成長の過程ともいえる。言い換えれば、原初的な「自己の認識」とも言える。

たいていの人は「意識(起きていて気がついている状態)」「無意識(寝ていて意識のない状態)」という理解をもつ。


●そして、次の段階として「起きていて気がついている状態」と「寝ていて意識のない状態」の他に

「夢をみていた状態(夢の中では現実だと思っていて、さめて夢だったと過去形で認識できる)」に気がつく。

時には、疲れた時や寝ないでいる時やアルコールや薬物等を飲んだ時に、

この状態を体験をする人もいる。

実は「起きていて気がついている(意識のある)状態」と思っている時にも「考えていない瞬間」があるが「考えていない為」に気づく人はすくない。瞑想などをしている人は、夢みている状態や「考えていない事(思考の場になにも無い事)」も感じられる様になる。

 

夢の解釈としては、文明によりさまざまな受け方がなされている。

例1. 夢は魂が神様の世界にいって体験する事という解釈、 神様の姿を見る夢、神の言葉を聞く

例2. Native Americanなどは夢は、魂が、自分のトーテム(魂の帰属する世界)にかえっていると解釈した。自分の見た夢を他人に話をした。それを聞く人も、相手の魂の世界を尊重て聞いていた。

例3. 予知・過去の夢

例4. 巫女や伝統的予言者などは、さまざまな行(祈り・ダンス・薬物・感覚遮断の籠り行やスエットロッジ)により変性意識になり、この霊世界のメッセージにコンタクトすると考えられている。

脳波の研究からすると、夢は、

1。視覚野が活性化している時(Rapid Eye Movement睡眠)はイメージの夢を見る。

視覚野が活性化している時に「どんな夢をみていたか?」と起こして聞いてみると「だれかの姿は見えるけども、その人の声はきこえない」ことになる。

2.言語中枢が活性化してみる時は「言葉の夢」を見る。

言語中枢が動いている時に見ている夢は「誰かの声はするけれども姿は見えない」ことになる。でも、この夢の時に被験者は「私は寝ていない。考え事をしていた」ということがおおい。不眠症の人が「私は一晩中寝られなかった」と訴える事があるが、脳波からは、これは「言葉による活動を記憶している」

3. 身体感覚だけが動いている時の夢は、落ちる夢や・飛ぶ夢など)である。

時には同時にみる。睡眠中に脳波を計っている実験で、

 

 

 


●フロイトの意識にたいする分析

 

医師であるフロイトは、人間の精神的なトラブル(病気)は、無意識の世界に押さえ込まれた欲望であるリビドー(性衝動)が原因であると解釈した。「あらゆる夢」や「いい間違い」なども無意識に眠る「性衝動のあらわれ」であると理解した。

●これは「悪いもの(病気)」を「標準」に戻すと言う生物医学の姿勢であり「原因・分析的思考」である。

(確かに、セックスが悪い事とされていた父性社会のキリスト教社会では、人々は抑圧された性衝動ははけ口をもとめて、さまざまなトラブルをおこして来ている。(キリスト教文化圏や儒教文化圏の価値観と、「性に対して罪悪視していない大平洋の島の社会や(人類学者マリノウスキーの研究)やアジアの少数民族の母系社会の価値観」との比較の範囲内では、より抑圧されていると言える)

確かに「抑圧された感情」が人間の行動に影響を与える事は今の時点(2005年)での心理学事実であるとみなされているが、アサジオーリは「芸術の持つ力」に対する理解があり、また、自らも「神秘体験」を持っていた。それゆえに、アサジオーリには、フロイトの「すべて性衝動が原因である」と原因分析する視点に満足できなかった。

例えば、厳密にフロイト的に考えると「小さな子供が泣いているのをみて抱き締めてあげたい」と考える事は

フロイト的には「倒錯的な性衝動」となるが、

アサジオーリの理解からすると、『より高次元な意識からの「同情心empathy」』とプラスの意識と行動につながる。『内なる親のサブ・パーソナリティ』が働いたAct of Love と、プラスに解釈できる。


● ユングの無意識に対する理解

★フロイトの弟子であったユングは、世界中の文化の中に、他と孤立しているに関わらず、同じような神話やシンボル(マンダラや線画)がみられる事に注目した。無意識の奥には、個人をこえた「意識の原型」や「集合的無意識」があると分析的解釈をした。

ユングは、中国の道教の修行法(練丹法)の「金華大乙集」という修行法の本をドイツ語に共同で訳している。この本は「修行により人間の肉体(丹田)の中から、霊的胎児を生み出し、育て成長させ、肉体から離れ霊界に行き、さまざまな体験をする」という神仙道教のやり方のテキストである。そのコンセプトから「トランスパーソナルな意識」というものがうまれたと考えられる。これはインドのヨガや西洋ヨガ(神智学)のアカシック・レコードという概念と良く似ている。

★世界には男性原理と女性原理の二つの原型エネルギーがあるとした。

             ユングの母国語であるドイツ語には、名詞は男性名詞、女性名詞に別れる。(中国の陰陽理論とにている)

 


● マズローの人間の欲求に対する理解

マズローは、アサジオーリ達とともに、人間性心理学やトランスパーソナル心理学を作った人です。フロイトの精神分析が、人間をネガティブな面(病気)の治療(標準に戻すという視点)から捉えたのに対して、人間の善なる側面や崇高なる側面に光を当てました。マズローは人間を「自己実現をする存在」と捉えました。フロイトの要に、性欲のみを精神的病気の根源としませんでした。性欲などの生理的欲求から高次の欲求に階層的に高まっていくと考えたのです。

図のように人間の欲求は5段階のピラミッドのようになっていて、欲求は底辺から始まり、1段階目の欲求が満たされると、もう一つ、1つ上の欲求を目指すという

以下が6つの基本的欲求です。

「生理的欲求」・・・・・空気・水・食物・庇護・睡眠・性

「安全への欲求」・・・・安全・安定・依存・保護・秩序への欲求

「所属と愛の欲求」・・・家族の中に居場所があり自分が愛されること

「承認欲求」・・・・・・自尊心・尊敬されることへの欲求

「自己実現」・・・・・・自分がなりたいのもへの欲求

「自己超越」・・・・・・今までの、現状の自分自身を超えたいという欲求

これに、アサジオーリの卵型図形を並べます

●サイコシンセシス(統合心理学)のフェルーチは、この「崇高なるモノを体験したい」という欲求が、どのように働いて来たかを、比較研究し本を書いています。世界中の有名人50人のそれぞれの至高体験・業績について書いた本『人間性の最高表現 その輝きを実現した人々 (Inevitable Grace)』P.フェルーチ著、 国谷誠朗・平松園枝共訳、誠信書房、上2400円 下2200円

 

●マズローの視点の持つ危険性について

マズローは、人間の善なるものに光を当てた。しかし、じっさいに具体的な意識の高め方や「本当にそうであるか」についての見極める手法を持たない。

というのは下位の無意識にいるエゴは時には巧妙なカモフラージュで、ハイアーセルフ(上位の無意識)からのメッセージのようにふるまう。また、どのようなメッセージでも、受け手側がReady出ない時には、それは危険な事でもある。これはフロイトが無意識の世界を、病理の源としたのと、同じだけの危険性を持つ事である。

●私は、宗教界や心理学の世界でも「エゴトリップといおうか、社会的階段を上昇することに取り付かれた人達(Social Crimber )」が大勢いる事を、忘れてはならないと思う。アメリカのトランスパーソナル心理学の世界においても、アメリカ社会の価値観が強く反映していると感じる。政治家達、例えば、ブッシュが一方的な価値観と物質文明を、異文化の国に指導(侵略)しているが、それと同じような態度で、宗教や心理学世界の中で、同じタイプ(上昇志向や、エゴ)の怪物達が「アメリカ的思考エゴを一方的に布教」している事に懸念をもっています。徘徊しているのを感じてます。

●元ハーバードの心理学教授のババ・ラム・ダス自身も、「ある時点」までは「スビリチュアルな世界で、頂点をめざすラット・ゲームをしていた」と真摯な態度でオープンにしていました。

●そういう背景で「上にも下にも無意識があるという卵型図形」をつくり出したアサジオーリの統合の視点が、上と下での二つの危険性を明らかにしています。また、さまざまな目的別のガイド技術を備えています。

    心理の世界でも「部分的な仕組み(心理学的教義)を全体の仕組みであるように扱う要素還元論」であり

                        ガイドする立場とは

私は、「意識の世界」をガイドする為には、上にあがるという事は、下に落ちる危険性も同時にあるので「下位の世界の穴に落ち込まないようにガイド」するのではなく、「穴から出られるようにガイドする」ことが必要であると考えます。この点では、チベット仏教の様に、一番最初から、「安全な環境での決めの細かい指導」が必要だと考えます。サイコシンセシス(統合心理学)には、誘導イメージワークを始め、非常にたくさんのガイド技法が開発されている。その手法の、目的・禁忌(使わない方が良い場合もサイコシンセシスの本には明記されている)が理解されて使われてこそ意味があると考えています。●このHPには、「イメージワークの組み方や注意する点」もまとめられています。


アサジオーリの人間観

● 人間の意識の下にも上にも無意識がある(階層化)

両方向に開いている

● アサジオーリの卵型図形

 

「犬は犬として生まれ、犬として死んでゆくが、人間は、仏陀にもなれるし、ヒットラーにもなれる。人間は両方向にひらかれている」                                                                           ラジネーシ

●人間は、マズローの言うように、高次のモノを実現したいという菩提心もあり、上位やトランスパーソナルな意識に覚醒し仏陀のように高い精神を極める事もできるし、ガンジーやマザーテレサのような人をたすける菩薩行をすることもできる。また、下位の意識に動かされて、独裁者になると動物以下の大量虐殺を起こす事もある。(アサジオーリは自由主義者という事で、ムッソリーニに投獄された体験をもつ)この卵型図形は、人間には、上位の無意識も下位の無意識も両方が存在している事を説明している。しかし、間違いなく、「下と上は別のモノではなく、繋がっているのである。下が上を支えているとも言える」アサジオーリは下位の無意識を、否定し押さえ込む事を主張しているのではない。たとえば「性エネルギー」を「悪や押さえるべきモノ」とは捕らえていない。「押さえる事により、倒錯がうまれ、暴力がうまれる事にも洞察を持っている。そこからスタートし、昇華し創造的な面に進化させることのできるものとしている。(これはチベットの仏教と同じ視点である)

      さらに「脱同一化」=離れる自由を持つ事』の視点でこの図を見る

●アサジオーリは『「至高体験」の大切さを認識しつつ、そこに執着しない事「脱同一化」=離れる自由を持つ事』を主張している。この心の持つ自由さは、「禅」では、無執着の心であり、「無=空性」の理解と同時にもっとも大切にされている事でもある。「自性体験(悟り)」と呼ばれる体験をした後、日常の生活の中での修行を大切にする。この姿勢は、下位の無意識からの「偽の高次な体験(偽の悟り)」に対する暗然なガイドともいえる。

●禅の「十牛の図]では、『ピーク体験にいたるまでの道のりだけでなく、元の所へ還る事により完結する』と捕らえている。つまり「マスターになり、そこからも自由になり、元の凡夫に戻る事」です。この部分が「最高の位置に留まる事を目指す」ヒンズー教との違いと言える。

マズローとアサジオーリは友人であり、ともにトランスパーソナル学会の設立メンバーである。マズローは若くしてなくなったが、アサジオーリは長生きでした。

        以上 岩崎正春によるアサジオーリの「卵型図形」の解説でした

==========アサジオーリの生涯について、平松園枝さんの文より抜粋============

アサジオーリ自身、リベラリスト、平和主義者ということで、ムッソリーニの迫害にあい、1940年頃には、投獄された。この時、「平和や、自由は、運動で闘って得るものではない。自分の心のありよう(態度)」と、実際に、平和で自由な投獄生活を送ったという。

 晩年、カリエスで背中も曲がり、体調は万全ではなかったが、精神は健康で、「いつでも、愛、知、喜び、パワーに満ち、人が訪ねると受容的で、光につつまれて、否定的要素がとけ、最も良いところが発現する」という。

 一人息子に先立たれ、悲しみにくれた後、皆の前に現れた彼は凛として、輝いていた。「何があったのか」という問いに対し「私は意志を発見した」といったという。彼を知る人は、「真の賢人というにふさわしく、喜びを体現した希有な人」という。 まさに、自分の提案したホリスティックな人間観、実践法であるサイコシンセシスを実践、実証した生き方であった。

======以下平松園枝さんの、アサジオーリについての紹介の全文========================================

アサジオリについて一11−8より

ロベルト・アサジオリ(1888−1974)

1. 何者か:サイコシンセシス(以後ps)の創始者、イタリアの精神科医。

「ユングは心理の世界に初めてsoulをいれた、アサジオリはそれにspiritを入れた」という言葉があるが、20世紀初頭に、心理学の分野に、既にスピリチュアル、ハイアーな(50年後にマスロー等がトランスパーソナルと呼ぶ領域をユングと共に取り入れ、それに意志も加えた。

 

2. サイコシンセシス(統合心理学)の背景、アサジオリを動かしたもの

 アサジオリは、性善説を信じながら、一方で、現実社会の醜さ、苦しみを直視し、人間探究の為に、フィレンツエ大学医学部に入学、その後、精神医学、神経学を専攻し、精神分析に光明を見いだしたが、病的な側面のみで、魂、意味、潜在的可能性を除外する事に限界を感じた。一方、宗教、スピリチュアリティ、神秘に関わる人達には、科学性、現実性必要と感じた。

 そこで、実際に、広い分野素晴らしく生きた人々、古今東西の哲学、文学、宗教、秘法、行法等を探究し、同時代の学問、心理学、精神医学、特に精神分析を含めた精神力動の研究、心身医学、実存主義、人類学、意味論、宗教心理学、超意識、holism,パラサイコロジーの研究なども学び、鈴木大拙も含め、世界中の研究者、詩人、宗教人、芸術家など、豊かな語学力を背景に、広く交流し、実際に個人、社会の解放、自由、幸せな、人間らしい本来の有りようを探った。そして、「現代の問題の根本は、外的世界に対する知識とそれを操作する力を得てきた現代人が、自分自身の内なる世界、自分を動かすものへの知識も、内的力(特に意志)も持とうとしない、この内外への知識と力のギャップこそ、緊急に改善すべき課題」と提言、「自分、他者、世界・人生に対する肯定的な態度をもたらすような理論と実践体系」として、ホリスティックな人間観に基づいた気づきと意志を軸とした「癒しから‘真の自己’実現の体系サイコシンセシス(統合心理学)」を科学の立場で、仮説として提案した。

 サイコシンセシスを1910年に、学会で発表してから、28年に研究所設立、そして、ヨーロッパでは、賛同者を得ていったが、アメリカでは、60年代の人間性〜トランスパーソナル心理学の流れの中で、最初の、基本的な体系として再発見され、以後、世界中から多くの専門家が彼を訪れ、サイコシンセシス自体も発展していった。彼は、100以上もの論文を書き、臨床を熱心にやったが、彼は、個人の内なる権威を重んじ、自分自身が権威になるのを嫌った。イメージの如くサイコシンセシスで開発されたものが、多用されており、実践哲学、トランスパーソナル心理学の巨人の一人といわれる割には、学問の世界で知られていない。

3.アサジオリの生涯

 アサジオリを動かしていたものは、初めから人類愛、人道的動機であり、それを “starting from within”(psの章参照)というスタンスで生きたことは、今の社会問題に示唆、希望を与えるのではないかと筆者は思う。

 ユダヤ系イタリア人、母は神智学会会員という家庭に生まれ、宗教的というより、スピリチュアルで、自由で、知的で、愛情に恵まれ、豊かな環境に育った。早くから西洋の古典に親しみ、10代で、後にマスローが至高体験とよぶような体験をした等といわれる。15才で、雑誌に論文を二つ発表、17才の頃の書簡集からも、彼は伊英独仏など語学は堪能、欧州諸国を旅行し、視野が広く、「愛を根底とした、エネルギーに満ち、かつ調和と幸せに向かう個人と社会の‘真の自己’実現への旅」として人生をみていた事が分かる。

  リベラリスト、平和主義者ということで、ムッソリーニの迫害にあい、1940年頃には、投獄された。この時、「平和や、自由は、運動で闘って得るものではない。自分の心のありよう(態度)」と、実際に、平和で自由な投獄生活を送ったという。

 晩年、カリエスで背中も曲がり、体調は万全ではなかったが、精神は健康で、「いつでも、愛、知、喜び、パワーに満ち、人が訪ねると受容的で、光につつまれて、否定的要素がとけ、最も良いところが発現する」という。

 一人息子に先立たれ、悲しみにくれた後、皆の前に現れた彼は凛として、輝いていた。「何があったのか」という問いに対し「私は意志を発見した」といったという。彼を知る人は、「真の賢人というにふさわしく、喜びを体現した希有な人」という。 まさに、自分の提案したホリスティックな人間観、実践法であるサイコシンセシスを実践、実証した生き方であった。

 

 

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